『食感を科学する-咀嚼シミュレーターの開発』後編─咀嚼シミュレーターによる食感評価-「口どけ」の経時変化を可視化する
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食品開発において、食感の定量化は重要な課題です。今回は、前回ご紹介した咀嚼シミュレーターを用いて、クッキーの「口どけ」を評価した方法と分析結果をご紹介します。
私たちは、咀嚼シミュレーターを用いて、咀嚼中の食品の経時的変化を計測し、食感の数値化検討を進めてきました。
初期段階の装置は[添加]機能がなかったこともあり、水分量が比較的多く、咀嚼時の液体添加量の影響を受けにくいハンバーグなどを評価対象としていました。ハンバーグは、肉やタマネギなどの形状や硬さの異なる素材を含み、不均一な食感を持つ食品ですが、咀嚼シミュレーターによる評価で経時的な変化が観察できることを確認してきました。取得するデータと解析方法に関しては、TPA法のような圧縮試験による力覚データと装置下部から撮影される画像データを活用することで、従来の評価法では得られないデータの取得が可能であると考えられました。
ここから、もっと評価対象の幅を広げ、クッキーのように唾液の影響を受ける食品も評価するために、私たちは新たに[添加]機能を追加し、咀嚼シミュレーターを拡張しました。
咀嚼シミュレーターに液体添加の新機能を搭載 ヒトの咀嚼の再現性向上、クッキーの“口どけ感”を見える化 – 「おいしさデザイン®」を体現した研究が前進 –|プレスルーム|JOYL – J-オイルミルズ
クッキーの「口どけ」定義
「口どけ」という食感表現には、以下のような複数の現象が考えられます。
- 咀嚼によって食品が砕けて“解ける”
- 氷などの結晶が“融ける”
- 油脂が唾液と同化して“溶ける”
- 食品が崩れ易く“溶ける”
- 咀嚼後に口腔内から“無くなる”
食品開発現場においては、対象とする食品や評価者に応じて「口どけ」も様々な意味を持ちます。つまり、開発者が設計・イメージした「口どけ」を正確に伝えるためにも、評価用語の定義が重要になってきます。この評価用語の厳格な定義付けは食品開発現場でも後回しにされ、感覚的に進められることも多いですが、本コラムでは定義付けして説明したいと思います。
本コラムでは、クッキーの「口どけ」を『咀嚼の中~後期において、クッキー粉砕物ペーストの粘度低下が大きく、溶けたように感じる』と定義します。イメージとしては、食品が飲み込む直前に「無くなる」感覚です(上記説明の4~5)。
このような食感は、咀嚼の2回目程度までが想定される一般的な力学試験では捉えきれないため、咀嚼シミュレーターによる再現と定量評価が有効です。
クッキーの「口どけ」検証
私たちはクッキーの「口どけ」を定量的に捉えるため、咀嚼シミュレーターによってクッキーが口腔内で溶けて変化する様子を再現し、力学センサーと画像解析による評価検証を行いました。検証には、異なる「口どけ」を持つ3種類のクッキー(A・B・C)を用意しました。
- A:しっとりしたソフトなクッキー(当社マーガリンと糖類でソフトな食感)
- B:サクサクしたハードなクッキー(当社でん粉素材を利用した口どけの良い食感)
- C:サクサクしたハードなクッキー(比較対象)

まず従来の力学分析(単回圧縮試験)を行ったところ、AとB・Cの間には明確な違いが見られましたが、BとCの識別は困難でした。力学分析では、BとCの「口どけ」の違いを判別できなかったのです。
そこで、咀嚼シミュレーターを使って、ヒトの唾液を模した水を咀嚼毎に一定量添加し、人工的に咀嚼を再現しました。また、咀嚼回数毎の粉砕時の最大応力データと、粉砕時の画像のエントロピー解析により、咀嚼中の食品状態の見える化を検討しました。
試験の結果、最大応力データは初期に高い値を示しましたが、中期から後期にかけて急激に減少しました。特に中~後期のデータ推移において、クッキー毎の違いが明確に現れ、サンプルの識別が可能であると考えられました。
画像エントロピー解析では、画像内の食品状態の均一性を解析し数値化を行いました。画像においても最大応力データと同様、クッキーの咀嚼における状態変化を捉えられていると考えられます。
Aのクッキーは咀嚼を数回繰り返した段階からペースト化する様子が見られました。続いてB、Cの順にペースト化のタイミングが遅くなりました。画像エントロピーの推移からもA>B>Cの順にペースト化が進み、これが「口どけ」の始まるタイミングと関連すると考えられます。
官能評価との比較
さらに、クッキーの「口どけ」の官能評価をTDS法(質的経時変化測定法)*にて実施しました。今回は「口どけ」の時間的変化の評価が目的なので、評価項目の質を強度で測定する一般的な官能評価方法ではなく、評価項目の質を経時的に測定するTDS法を選択しました。
*TDS法…食品を食べる過程で、複数の食感や味覚のうち「その瞬間に最も支配的に感じられる感覚」を時間軸に沿って記録する官能評価手法です。強度ではなく、どの感覚が優勢かを時系列で追うことで、食感や風味の変化を可視化できます。
評価項目として「硬さ」「もろさ」「粒子感」「ねちゃつき」「なめらかさ」「口どけ」を各サンプルで測定し、「口どけ」の評価結果についてまとめた結果がこちらです。
咀嚼シミュレーターと官能評価による結果を比較すると、A>B>Cの順で「口どけ」の進行が一致しており、官能評価との対応関係が確認されました。
この検証により、クッキーの「口どけ」の違いや、咀嚼中のどのタイミングで「口どけ」が起こり変化していくかを、視覚的かつ定量的に評価できることが実証されました。これまで主観的な感覚に頼っていた咀嚼中後期における食感評価に対して、新たな評価方法を提案できると考えています。
今後の展開
咀嚼シミュレーターの開発により、従来の力学分析では捉えきれなかった食感や、咀嚼中に起こる食品の経時的変化を、より忠実に再現・評価できるようになりました。これにより、食感に関するデータの精度が向上し、官能評価と組み合わせることで食品開発や新製品設計におけるアプローチの幅が広がります。
この技術は、食感評価に課題を抱える多くの食品企業への大きな貢献が期待されます。今後も、当社は「おいしさデザイン®」の実現に向けて、様々な企業と協力しながら技術の活用を進めていきたいと考えております。
開発陣(東森教授と当社研究員)に聞く、咀嚼シミュレーターの可能性
Q. 今後、咀嚼シミュレーターをどのような分野に展開したいとお考えですか?
東森教授)
この咀嚼シミュレーターを食品分野において幅広く展開していきたいと考えています。今までの咀嚼装置では難しかった、ヒトの咀嚼メカニズムに即した食品評価、より多面的で繊細な食品評価を行うことを目指しています。咀嚼過程の噛む力やまとめる力、食品断片の画像を解析し、食感、食べやすさ、おいしさに関する評価を行うことを視野にいれています。また、咀嚼シミュレーターの動作パターン、具体的には噛む回数や力の制限、人工唾液の添加ペースなどですが、これらを変更することで、幼児や高齢者の方々の咀嚼を再現できる可能性があります。このような方々は食塊形成を適切に行えない場合があり、それが誤嚥や窒息の原因になることが問題となっています。咀嚼シミュレーターによって、幼児や高齢者による咀嚼を再現し、適切に粉砕されるか、唾液と混じり合うか、まとまって食塊となるかといった食品の安全性に関する評価を行えるのではないかと期待しています。
研究員H)
今回のリリースでも発信したクッキー(当社プレスリリース)のように、従来の物性評価では判別が難しかった“口どけ感”を評価できたことは、本シミュレーターの有用性を示す良い例だと考えています。また、ウズラの卵を評価した際には、ヒトが咀嚼した咀嚼物とシミュレーターが咀嚼した咀嚼物が非常に類似していることも確認できました。このように、さまざまな食品の食感評価を行うことで、安心できる食の提供に貢献できる点は、本シミュレーターの大きな価値だと感じています。当社のお客様には高齢者向け食品を開発・提供されているメーカーも多く、本分野での活用は重要であり、社会的意義も大きいと考えています。今後も、本技術を活用して「おいしさ」に関わる食品素材や調理条件を探求し、より多くの方に満足いただける商品づくりに繋げていきたいと考えています。
Q. 今後の研究の方向性や、さらに進化させたい技術的なポイントはありますか?
東森教授)
これまでは、私たち設計者が、ヒトを模倣するように咀嚼シミュレーターの動作パターンを決定し、それに対する食塊の状態を計測していました。これは、原因から結果を得る通常の手法です。今後は、それとは逆に、ヒトが吐出した食塊の状態を画像などで捉え、その食塊を再現するように咀嚼シミュレーターの動作パターンを生成する技術の開発に挑戦したいと考えています。つまり、結果から原因を推測しようという試みです。生成された動作パターンには、噛む力、まとめる力、動きの範囲、人工唾液の量などのデータが含まれますが、目標とした食塊の状態に対して、各データが、いつ、どれだけ、どのように関与するかを調べることで、咀嚼に関する新しい知見を見出せるかもしれません。また、上記のような技術を用いて、健康な方だけでなく咀嚼困難者の方、すなわち、歯や舌の機能、唾液の分泌などに不全を持つ方が吐出した食塊を再現するように、咀嚼シミュレーターの動作パターンを生成できないかと考えています。そこに含まれるデータから、各部位の状態、機能の回復具合など、治療やリハビリに役立つ情報を提供できるかもしれません。咀嚼シミュレーターによって、間接的に診断データを得るというわけです。以上のような研究を通じてヒトの咀嚼メカニズムの核心に迫り、医療や介護分野にも貢献できればと考えています。
研究員H)
本技術は、多くの研究者や食品開発者にとって有益だと考えております。まずは自社活用からですが、多くの方々に広く利用できるようにすることや、評価対象とする食品や食感の範囲を拡大していくことは、研究の方向性の一つとして考えております。 各個人の咀嚼の差や嗜好性の関連性なども分かるようになれば、当社が目指す「おいしさデザイン®」に向けて強力なツールになると考えています。
私たちは今後もこの咀嚼シミュレーター研究を継続し、より高度な食感評価手法の確立を目指してまいります。食感の科学的理解を深めることで、当社の使命である「おいしさデザイン®」の体現、そして社会貢献にも繋げていきたいと考えています。
以上で、『食感を科学する-咀嚼シミュレーターの開発』コラムは終了となります。新しいコラム連載シリーズ等も随時公開いたしますので、お見逃しなくご確認ください!

